今、教育格差が広がっています。特に貧困の再生産などが話題になっていますね。
今回は御茶ノ水大学の耳塚寛明による『小学校学力格差に挑む : だれが学力を獲得するのか(<特集>「格差」に挑む)』という研究の紹介です。
メリトクラシーとは
耳塚教授は、本来あるべき教育システムは「メリトクラシー」であると述べています。
社会学者マイケル・ヤングの定義にならえば、メリトクラシーの「メリット」とは「IQ+Effort」のこと。生まれ・身分・階級・富といった所与の条件ではなく、能力に努力を加えたメリットを獲得した者たちが成功し、指導的な階層をかたちづくる社会をメリトクラシーと呼びます。(学力格差と「ペアレントクラシー」の問題)
個人の努力と、その結果としての能力が、成功につながる社会こそが平等な社会であるわけですね。
メリトクラシーは、結果として地位や名誉、権力や富が不平等に配分されるので、いうなれば「業績主義的不平等社会」です。したがって、必ずしも人類が目標とすべき理想的な社会ではありません。しかしながら、「生まれ」が人生を規定してしまうような社会と比べれば、まだましです。そうした身分社会からメリトクラシーへのシフトは、近代社会を成り立たせる上で政治的にも経済的にも不可欠の過程でした。なぜならメリトクラシーは、人々に機会を保障することを通して民主主義の発展を促し、身分にかかわらず効率的な人的資源の調達を可能にすることによって経済発展にも貢献したからです。(学力格差と「ペアレントクラシー」の問題)
つまり、生まれた瞬間に農民だったら、武士にはなれなかった江戸時代とは違って、近代社会システムでは生まれたときの属性とは関係なく、努力と能力によって社会的に成功することが可能なわけです。
ペアレントクラシー(Parentocracy)とは
ところが、耳塚教授はメリトクラシーからペアレントクラシーに移行していると述べています。ペアレントクラシーとは、「親の富」と「親の教育願望」が子どもの教育を規定しているという考え方です。
ペアレントクラシーとは、努力と能力によって教育達成と経済的見返りが帰ってくるとメリトクラシーとは対照的に、親の富と願望によって子どもの教育が規定されるという社会システムのことである。(Parentocracy wikipedia englishから翻訳)
例えば、子どもに塾に行かせたい!(親の願望)と思ったときに、行かせられるだけのお金(親の富)があるかが子どもの教育に影響をあたえるということです。
社会学者の Fulcher Scottは、ペアレントクラシーの要素とは「親の願望」+「親の富」=「選択肢」だと述べている。たとえば、中産階級の親は、子どもの入試のためにより多く教育に投資したい(親の願望)し、投資できるだけの富(親の富)を持っているから投資するのである。一方で、労働者階級の親は同じ希望はあっても、実質不可能である。(Parentocracy wikipedia englishから翻訳)
調査概要:家庭環境のどのような要素が学力に影響を与えているか
耳塚教授は、「家庭環境のどのような要素が学力に影響を与えているか」調査を行いました。関東の中都市を対象に、小学校3年生から高校3年生8000人とその保護者を対象に、2003年から2004年に実施した調査で、家庭の経済文化的環境を測定するために、父親、母親の学歴などの要因を設定し、子どもの学力の規定要因を分析しました。
調査の結果
(1)学校外教育費支出──学習塾、稽古ごと、通信教育などに支出する教育費、 調査対象となった子ども1人の1か月支出額
(2)保護者学歴期待──どの段階までの学歴を子どもに期待するか
(3)世帯所得──家族全体の税込み年収
(学力格差と「ペアレントクラシー」の問題) |
(学力格差と「ペアレントクラシー」の問題) |
学力格差と「ペアレントクラシー」の問題 |
日本でも、「親の富」と「親の教育願望」が、成功を規定する要因となっていた
もし日本が平等であれば、このような差は生まれません。この研究の結果から、日本でも明確にメリトクラシーではなく、ペアレントクラシー社会化していることがわかりますね。
参考文献
耳塚寛明. “小学校学力格差に挑む: だれが学力を獲得するのか (< 特集>「格差」 に挑む).” (2007).
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