「フロー体験こそ、幸せのカギである」ミハイ・チクセントミハイ

心理学

ミハイ・チクセントミハイ: フロー体験について

時を忘れて、まるで体の感覚がなくなるくらい集中してしまう体験をしたことはありませんか?実はこれ、フロー体験と呼ばれています。

今回はそんなフロー体験についてです。Tedトークス、ミハイ・チクセントミハイ: フローについて(Flow, the secret to happiness)をご紹介します。ミハイ・チクセントミハイはアメリカの心理学者で、ポジティブ心理学の第一人者です。

ミハイ・チクセントミハイ(Mihaly Csikszentmihalyi, 1934年 – )は、ハンガリー出身のアメリカの心理学者。「幸福」、「創造性」、「主観的な幸福状態」、「楽しみ」の研究(いわゆるポジティブ心理学)を行う。フローの概念を提唱したことで知られる[1]。。 全米教育アカデミー、全米レジャー科学アカデミー会員。『エンサイクロペディア・ブリタニカ』の編集顧問の一人。ハンガリー語ではチークセントミハーイ・ミハーイ(Csíkszentmihályi Mihály)。(ミハイルチクセント・ミハイ:Wikipedia ja)

彼はフロー体験という、超集中状態に入る状態について研究しています。
このTedトークをちょっと長いので3行でまとめると

・戦後、世界の幸福度は裕福になってもほとんど変わっていない
・人間の幸福度を上げるためには、フロー体験を得ることが重要で
・フロー体験を得るためには、難易度の高いタスクに、自分自身が高いスキルを持って実行することが大事だ

という内容になっています。日々の仕事でも非常に重要な考え方だと思いました。

ミハイは戦後、「何が人生を生きるに価するものとするか」を追い求めていた

彼が心理学との出会ったのは終戦後。戦争の深い傷を負っているひとが多い時代でしたので、彼は何が人生に深い意味を与えるのかに興味を持つようになりまし、10代前半で哲学書を読みふけるようになりました。

私はヨーロッパで育ち第二次世界大戦のとき、7歳から10歳でした。私の知っていた大人でこの戦争による悲劇を耐えることのできた人はわずかでした。戦争で仕事や家などの拠り所を失ってしまって、平穏無事に満ち足りて幸せな生活すら維持できない人が多いことを目の当たりにしていました。そこで何が人生を生きるに価するものとするかということに興味を持つようになりました。ティーンエイジャーの若者ながら哲学書を読み、芸術と信仰や多くのことに関わってこの問いの答えを探し求めました。そんな中、心理学との偶然の出会いがありました。

「空飛ぶ円盤」について語る、カール・ユングとの衝撃的な出会い

彼は遊ぶお金もありません。そんな中、ある新聞記事に「空飛ぶ円盤について語る」という記事を見つけたのでした。そこで、暇だったのでいってみると….

空飛ぶ円盤について熱く語っていたのは、あと有名な心理学者、ユングだったのです。

私はスイスのスキーリゾートに居ましたが。遊ぶお金はありませんでした。雪も融けてしまったのに、映画を見に行くお金も持っていなかったのですが。チューリッヒの街中で講演会をするという新聞記事を見ました。空飛ぶ円盤について話すということでした。私は まぁ映画にも行けないのだから、無料なら空飛ぶ円盤の話を聞いてみようかと考えました。その晩講演した男はとても興味深い人でした。小さな緑の宇宙人の話の代わりに 彼は ヨーロッパ人の精神がいかに 戦争で傷ついたかを述べました。空飛ぶ円盤を空に見出すことで、古代ヒンズー教の曼荼羅にあたるものを空に映し出すことでそれは戦争後の混乱の中から何かの秩序を取り戻そうという試みだと語りました。私はこれをとても面白いと思いました。この講演を聞いてから 彼の本を読み始めました。カールユングがその人でしたが、それまでは名前も成果も知らなかったのでした。

カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung、1875年7月26日 – 1961年6月6日)は、スイスの精神科医・心理学者。深層心理について研究し、分析心理学(通称・ユング心理学)を創始した。(カール・グスタフ・ユング:Wikipedia

人は豊かになっても、幸せにはなれない

その後彼は渡米して、本格的に心理学を学び始めます。そして、幸せとは何か研究し始めました。

しかし、彼が発見したのは、戦後豊かになっても幸福度は変わっていないという事実だったのです。

やがて私はアメリカに渡って心理学を学ぶことになりました。そうして幸せの根本は何かを理解しようという試みに着手しました このグラフは多くの人が説明してきたものです 多くのバリエーションがあります。この1956年にアメリカで行われた調査では、30%の人が 人生が非常に幸せだと答えています。その数字はそこから全く変化しません個人の収入は インフレを考慮した尺度で見るとこの期間に2倍以上ほぼ3倍に向上しましたが、それでも幸せについては同じ結果になっています。貧困線よりも数千ドル多い程度のある基準を超えてしまえば物質的な充足は人の幸福とは関係しないようです。基本的な物的な財産が不足すると不幸に結びつきますが、逆に物的な財産が増えても 幸福は増大しません

人生に価値を与える経験は何か

お金では幸せにならないことを知ったチセントミハイは、創造的な人が、日常生活でどこに幸せを感じるかに興味を持つようになります。

以上のように実際の自分の経験に即した物事を見出だしたことを踏まえて、私の研究はもっと焦点を絞り、日々の暮らしの中、通常の経験の中のいったいどこで、我々は本当に幸福を感じるのかということを調べています。40年前にこの研究を始めるにあたり、創造的な人たちに注目しました。芸術家や科学者などが何をもってその人生を費やすに値すると考えるのか、彼らの多くはそのことから名声も富も期待できなくても、それでも人生に意味と取り組む価値を与える、それは何か。

自己を忘れるフロー体験とは

調査した結果、一つなことがわかりました。それは、

創造的な人が口を揃えて「没頭してしまう瞬間がある」と答えることです。

この作曲家はそんな場所に行く必要はありません。この場所、ここのが即興演奏したときのように、新しい現実を作り出す状況に到達すること。これが忘我のひとときです。彼は別の現実に入り込むのです。彼は言います。これは非常に強烈な経験で、あたかも自分は存在しないかのように感じます。誇張した絵空事のように聞こえるかもしれません。

さてあなたがこの完全に没頭してしまうプロセスの中にあり、この人と同様に何か新しいものを作っているとしたら、体の感覚や家庭での問題を気にする分の、注意力は残っていません。空腹や疲れさえも感じません。彼の意識からは体も自分が誰かということも消えてしまいます。なぜかというと、集中して取り組むべき何か、うまくやり遂げながら同時に自分の存在を感じるほどの、注意力は残っていないのです。だれでもそうなります。そこでは人の存在はしばらく忘れられています。彼は自分の手が勝手に動いているようだと言います。

世界の創造的な偉人は、例外なくフロー体験を得ていた

彼は世界中の人が、フロー体験を得ているのかを調べました。その結果、詩人、スポーツ選手、CEO,僧侶、登山家、羊飼いもフロー体験に入っているといいます。

詩人はドアを開けると空中に浮かび上がっていくような感じ、と説明します。これはアルバートアインシュタインが相対性の力がどう働くかを理解しようと苦労していたときに、どうやって着想を得たかという説明とよく似ています。でも他の活動においても生じるものなのです。

アニタ ロディックもまたインタビューを受けたCEOのひとりです 化粧品中でも自然派化粧品の雄である、ボディ ショップの創始者です。彼女の情熱は仕事中にベストを尽くして、フローの状態に至っていることから得られるものです。

これはソニーの創始者である井深 大の味わい深い一言です。彼はそのときソニーを始めたばかりでお金もなく、製品もなく製品がなかったのです。何もない状態でしたが アイデアがありました。彼のアイデアというのは、エンジニアが技術革新の喜びを感じられて、社会に対する使命を意識して心ゆくまで仕事に打ち込める仕事場を作り上げるというものでした 。「フロー」が職場でどう実現されるのか これ以上よい例を思いつきません。

我々の研究ではこれまでに すでに世界中の研究者たちと8000回以上の — ドミニカの僧侶や盲目の修道女 ヒマラヤの登山家 ナバホの羊飼いにも — インタビューを行いました。彼らはみな自分の仕事を楽しんでいます。

フローに入るべき、7つの条件

ミハイは、フローにはいる条件を、以下7つだと説明しています。

1.何をすべきか、どうやってすべきか理解している
2.日頃の現実から離れたような、忘我を感じている
3. ただちにフィードバックが得られる
4.活動が易しすぎず、難しすぎないような、能力の水準と難易度とのバランスが適度にとれている
5.その場を支配している感覚。自分が有能である感覚を持っている
6.活動に本質的な価値がある、だから活動が苦にならない。
7.自分はもっと大きな何かの一部であると感じる

そして文化によらず、教育にもよらず、人がフローに入るときの条件として、7つの条件があると考えています。このポイントが十分強まると忘我の感覚明晰な感覚に到達するのです。それは、時間の経過と共に常に1. 自分が何をしたいのか分かっていて 2. ただちにフィードバックが得られること 3. 何をする必要があるか分かっていて4. それが難しくても可能なことで、5.時間の感覚が消失すること6.自分自身のことを忘れてしまうこと7.自分はもっと大きな何かの一部であると感じること。これらの条件が満たされるなら、あなたがしていることはそれ自体で価値のあることになります。

タスクの難易度(チャレンジ)と、自分の能力(スキル)がともに高いとフローに入れる

では、どうしたらフロー状態に意図的に入れるのでしょうか。ミハイは、「タスクの難易度(チャレンジ)と、自分の能力(スキル)がともに高いとフローに入れる」と述べています。

我々の研究では この簡単な図で人々の毎日の生活を記述できます。そして実際にとても正確にこれを測れるのです。参加者に1日十回鳴るポケットベルを配布して、それが鳴るたびに何をしているかどんな気分かどこにいるか何を考えているかを記録してもらいます。2 つのことを計測します。それはその瞬間に経験していることの挑戦の度合いと その瞬間に適用している技術がどの程度のものかということです。それぞれの人について平均をとって、この図の中心点にします。その人の平均的なチャレンジとスキルのレベルで、他の人のものとは違っているはずです。ともかく こうして選ばれた平均値を図の中心にします。

中心点のレベルがわかっていれば、かなり正確に、どんなときにフロー状態に入るか予想できるようになります。つまりチャレンジが平均よりも困難でスキルも平均以上のものが求められているときです。あなたは他の人とは非常に異なるやり方で仕事をしているかもしれませんが、このフローの入り口は誰にもあり、自分の本当に望むことを行っているときにはそこに存在しています。ピアノを弾くことや最高の友達との時間、もし仕事があなたにフローをもたらしてくれるものなのなら、仕事の時間にも。

よしなごと徒然草から引用

覚醒(難易度が高く、技術が中程度)の領域では困難に挑んでいるのでこれはよいものです。あなたの技術は求められるものほど高くないのですが、技術をもう少し高めることで、かなり容易にフローに入ることができます。覚醒の領域からはほとんどの人が学べるでしょう。ここは彼らが快適な範囲外に押し出されており、フローの領域に戻ろうとして、人はもっと高度な 技術を身に着けます。制御(難易度は中程度で、技術が高い)の領域も良いところです。ここでも人は快適です。ただあまり刺激はありません。チャレンジというにはあまりに容易なのです。制御からフローに入りたければ、チャレンジの度合いを高めなければなりません これらの2つは望ましく、そしてお互いに補い合う領域で、フローへとたやすく移動できます

その他のチャレンジとスキルの組み合わせに移ると、次第に望ましいものでなくなります 弛緩(難易度は低く、技術力は高い)も悪くない 気分はよいです。退屈は避けたいものです。無気力(難易度も低く、技術力も低い)は非常に否定的です。何かをしようという気がなくなります。スキルを使わず、チャレンジもしません。不幸なことに多くの人の経験はこの無気力の領域にあります。テレビの視聴がこの経験に寄与するところは大で、その次はトイレで座っているとき、時にはテレビを見ているときでもその7-8%の時間は、フローに入っているかもしれません それは本当に見たい番組のときです。そこから得るものがあるときです。

フロー体験に入りやすい仕事をしていますか?

見ていてドキっとしたのですが、ついつい私は制御(難易度が中程度で、技術力が高いのの仕事をしてしまいがちです。日々にうるおいをあたえるためにも、フローの仕事をしたいとこですね。みなさんの仕事はどれに当たりましたか?

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